野球~「笑えない」の考え方を現場で形にした3人の指導者 東京大・松岡泰樹(下)| 4年。 #学生スポーツ

野球~「笑えない」の考え方を現場で形にした3人の指導者 東京大・松岡泰樹(下)|  4年。  #学生スポーツ

グラウンドで一度も笑顔を見せたことのない松岡(試合写真は全て井上翔太撮影)

東京大学の松岡泰樹さん(東京都市大学4年)にインタビューをしていて気づいたことがあります。 神宮球場でも東大球場でも、グラウンドで笑顔を見たことがない。 声をかければ、落ち着いた表情で普通に言葉を返す。 だから怒っていないようだ。 ラグビー日本代表の稲垣啓太選手のように「笑わない男」にこだわるのだろうか。 「笑わないのではなく、笑えないのです」と松岡さん。

「そう言えば、私たちは公人です。」 東大への期待に応える松岡康樹(上)

肩が強いがノーコンだったのでキャッチャーに。

松岡の野球観を形作ったコーチは3人いる。

小学校時代、ヤマハのアマチュア野球部で強打捕手として活躍した伊佐知剛史氏に師事し、市ヶ尾善都寺少年野球部で野球を始める。 野球部を引退後、東京に赴任した伊佐知さんは、実の息子が所属するチームの監督を務めていた。

「それほど目立った選手ではありませんでした」と当時の印象を振り返る。 その言葉を聞いた松岡は「自分でも『めっちゃ上手い!』と思いました」と悪戯。 投球させてみると、肩ゴロが強かったので、速球を投げたが、相手にならなかった。 彼がさまざまなポジションを回転したとき、キャッチャーはフィットしました。

小学生の頃にキャッチャーの基礎を学ぶ(東大野球部提供)

イサチは松岡にキャッチャーの基本を教えた。 ミットの構え方、ショートバウンドの止め方、地面の肩に頼らない足で投げる、一人だけ違う方向を向いているということ。 しかし、最も重要な指導は技術ではなく、野球に対する姿勢でした。

イサチはチケットを手配し、よくチームで都市間野球の試合を観戦しました。 大会ならではの緊張感の中で、30歳近い選手が黒のユニフォームを着て一塁へヘッドスライディングし、勝つために必死にボールをキャッチしようとする姿を見て、松岡はカッコいいと思った。 彼はプロ野球チームと同じようにヤマハのラインナップを学び、翌日の練習でその選手になりすました。

辞表を書いて試合に出た

中学入試附属の東京都市大学に入学しました。 「彼は幼い頃から硬式ボールに慣れたかった」と松岡は言った. 本校の野球部は男子リーグに所属しており、学内の部活ながら硬式野球大会に出場しています。 野田博之監督に中学・高校の6年間指導を受ける。 野田は松岡に野球の厳しさを教え込んだ.

高校にふさわしくない硬式野球だった。 練習量も多く、早朝練習もあります。 睡眠時間を確保したかったので、帰りの電車の中で宿題を終わらせました。 強豪校とのオープン戦が多かった。 日々、監督からのプレッシャーは中途半端ではありませんでした。 「今日負けたら(野球を)やめて学業に専念せよ」と、試合前に辞表を出したこともある。 「あのくらいの緊張感があれば、今は野球に集中できるので、やりやすいです。

「東大野球部に本気で高校野球をやっていることを伝えても『(去年の夏)二回戦で負けた』と言われました。 私は持っていませんが、この辺りの強豪校に負けないことをやってきたことを誇りに思います。」

インタビューでは柔らかな笑顔で応えた(撮影・矢崎良一)

野田は松岡がグラウンドで笑うことを許さなかった。 「野球を楽しむということを誤解しないでください。極限状態で楽しいと思えば自然と笑います。しかし、今はそうではありません。」 」と非難されました。 いつの間にか、どこへ行ってもむっつりとした表情の「笑わない男」になっていた。

「東大に行って勝たせろ」

東京大学への道を開いたのは野田所長でした。 高校2年生の時、進路を語る際に「君は成績がいいから東大を目指せ。東大に行って東大に勝て」と語っていた。 ” . その後、松岡は「東大に行って他の5大学に勝てたらすごいな」と思うようになった。

実は、松岡の歩んだ道には開拓者がいた。 かつて東大のエースとして活躍した平泉豪介は、同じ高校を卒業し、野田監督の教え子。 「いつか、平泉のような学力と野球の実力を兼ね備えた人を東大に送りたい」という夢を持っていた。

毎年、夏の大会前に東大球場を借りて練習し、人工芝に慣れた。 メンバーには東大への「憧れ」を持ってもらいたかった。 そんな心の内を松岡さんに直接伝えたことはありませんが、厳重に接する中で松岡さんの気質を噛み締めるような言葉を投げかけました。 松岡は3年目で最後の夏の大会を終えることを決意し、1日10時間以上勉強に励んだ。 直前の模擬試験でE判定を覆し、無事現役合格。

高校の時、先生に「東大に勝たせて」と言われたことがきっかけで、東大に勝てるようになりました。

「強い東京大学」の心構え

東大では、1年生の時に助監督をしていた中西正樹さん(現・第一工業大学コーチ)と出会いました。 中西さんは松岡に勝つための戦術を教えた。

かつて東大の理事だった中西さんは、本気で優勝を目指していた。 「他大学の選手と競うには、東大の選手は万能ではない。でも武器が1つでもあればいい。それをどう活かして勝利に貢献できるか?」 彼は松岡に説明した。 「最初は何を言っているのか分からなかった」と松岡さんは話す。

捕手としての基本的な配球理論から始まり、バッティングでは狙ったボールの奪い方や右打ちのテクニックを学ぶ。 また、ピッチャーはサイン通りに投げられるのか、球種を知っていてもうまく打てるのかなど、「東大選手の場合」を想定した非常に実践的な会話でした。 中西は年末にチームを離れたが、その経験をもとに松岡は野球への視野を広げた。

中西さんの指導で野球に対する考え方が広がった

中西は東大選手のメンタリティをよく知っている。 今では甲子園経験者も入学するようになりましたが、ほとんどの部員は高校までは勉強を優先して野球を部活として楽しんでいます。 東京六大学のスター選手と同じ土俵に立ちたいという理由で入部する人もいます。 その意識を変えることが、「強い東京大学」をつくるために必要だと思います。 だから今でも松岡さんにメッセージを送っています。

「浮いても構わない、言い続ける(厳しい言葉)。それがチームを強くする」

自分のスキルや成績には興味がない

春先、今年のドラフト候補として松岡の名前が新聞に大きく取り上げられた。 その強靭な肩と巧みな裏技に注目するチームもあると言われており、大学野球界屈指のチームだ。 もちろん、松岡選手にプロへの憧れがないわけではありません。 私は時々、プロの申請書を提出するべきかどうか迷っています. ただ、今のところは、内定のある企業に就職して、社会のために野球をやろうと思っています。

そんな記事を見た松岡さんは率直な感想を語った。

「大学に入ったとき、野球はあと4年で終わると思っていました。 中西さんが「社会人にスカウトされる選手になりなさい」とおっしゃっていたので、私は「伊地さんみたいになりたい」と。 でも、東大では無理だと思っていたのですが、3年生でゲームを始めて、自分にできるのだろうかと思い始めました。 そう思うと恥ずかしかった

彼のキャリアについて考えていると、プロになった東京大学の卒業生の話も聞きました。 選択肢は――

進路を考えていた時、プロ野球選手になった東大卒の方にお話を伺う機会がありました。 その人は松岡にきっぱりと言った。

「プロはチームのためではなく、自分のために野球をしている。 チームが勝っても負けても、自分のスキルを磨いて結果を出せば、来年の給料は上がります。」

その言葉を聞いて、松岡は気持ちが固まりそうになったと言った。

「そう思ったんです。『打ち方』や自分の技には興味がないんです。もちろん勉強も練習もしますけど、それは試合で打つからですし、打たないと勝てない 活躍したいとか打率とかどうでもよくてそれ以上にただ勝ちたいだけで一塁にヘッズリして相手のことを考えない世界って感じそんな世界で1年も野球を続けられたら良いのではないか、そのあとプロ野球の世界が見えてきたら、それをもう一度。

笑顔のない充実感を求め、松岡は残り試合でチームの勝利をひたすら目指す。

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